受け継ぎ、育てる、
ブランドのバトン
- 川岸 良江
- 1996年 入社
- 商品部
課長
- 就職活動中は、業種を問わず様々な企業を見て回った。その中で、元々ユーザーとして親しみのあったアフタヌーンティー・ティールームやSAZABYを手がける「株式会社サザビー(当時)」を訪問。そこにある自由な空気感や雰囲気に惹かれ、入社を決める。入社後は、アフタヌーンティー・ティールームへ配属となり、ホール業務からスタート。店長、スーパーバイザー、課長と順調にキャリアを積み、現在は商品部で課長職を勤める。
その職場に見つけた、
自由な空気
私が就職活動をしていた1996年は、いわゆる就職氷河期の真っ最中。英文学科を卒業した周囲の友人たちも、「どこかに就職できるかな」と不安な気持ちだったと思います。もちろん、私もその一人でした。そのため、あまり業種や業態を絞らず、自分の興味が湧いた企業を広く訪問していた記憶があります。その中で出会ったのが、当時の「株式会社サザビー」。元々、アフタヌーンティー・ティールームやSAZABYのユーザーとしてブランドに親しんでいたこともあり、それらを生み出す企業そのものにも興味を抱いたんです。
そんな想いを胸に、就活用の資料を受けとるため、青山にある本社(当時)を訪問。チラッとオフィスを覗いてみると、そこには想像以上に自由な空気が広がっていました。それまで訪問していた会社は、どこも制服やスーツに象徴される堅めの印象を抱いていたのですが、サザビー(当時)のオフィスでは、皆が好きな服を着て伸び伸び働いているんです。自分が知っているアフタヌーンティー・ティールームやSAZABYといったブランドの印象と、その職場の印象が違和感なく結びつき、「ここで働いてみたい!」と素直に感じたことを覚えています。
一歩ずつ、
キャリアを歩む日々
入社後は、アフタヌーンティー・ティールームへ配属されました。当時はいま以上に新店のオープンが続いており、ポジションの枠も日増しに増加している最中。そのため、私もわずか一年二ヶ月ほどで店長を任せて頂けることになりました。未熟なため重荷に感じる瞬間もありましたが、悪戦苦闘しながら一歩ずつ業務を覚えることで、計八年間、五店舗の店長としてお店を任せて頂くことになります。その後、今度は複数店舗を管理するスーパーバイザーを拝命。こちらも同じく八年間ほど務めましたが、その間には様々なエリアでの仕事を経験させて頂きました。都内はもちろん、神奈川や大阪、九州の店舗に携わったこともあるんですよ。
やがて、入社して十八年ほどが過ぎた頃、スーパーバイザー全員をまとめる課長職を任せて頂くことになります。各店における今後の方針はもちろん、教育体制の強化や施策の立案、他部署の方々との連携など、課を代表する立場としてそれまで以上に幅広い仕事に取り組みました。現場からは離れましたが、より組織全体を俯瞰で見る視点が身に付いたと感じています。
現在は商品部の課長として、アフタヌーンティー・ティールームで提供するメニューや物販商品のラインナップ・価格を決めています。長く愛されているブランドなので、昔からの変わらぬ良さを保ちながら、いかに新しいエッセンスを入れていくか。難しさもありますが、同じくらいやりがいがあります。
自身の想像を超えた、
ブランドがもつ価値の強さ
これまでのキャリアを通じて、アフタヌーンティー・ティールームに関わる様々な人や現場、想いを見てきました。その中でも忘れられない出来事の一つが、スーパーバイザー時代に経験した関西エリアでのお仕事です。当時は関西エリア・関東エリアそれぞれが大きな組織のひとつとして運営されて
いたことから、それまで関東エリアを中心に働いていた私にとって関西エリアのティールームは「どんな雰囲気なんだろう……」と、どこか漠然としたイメージを持っていたことを覚えています。
でも、実際に現場に出てみると、そこには私の想像を超える様子が広がっていました。どのスタッフもとても熱心に仕事をしていらして、そこにいる誰もがブランドへの愛情を持っていたのです。渋谷発であるアフタヌーンティーは、関東を中心に広がったブランド。しかしながら、いまやそれは日本全国、多くの人が共有する価値となっていたのです。そんな当たり前のことに改めて気付かされると共に、自分が関わるブランドの強さをいま一度知り、誇らしく感じたことを覚えています。
ブランドとは多くの人が育て、受け継ぎ、愛され続けていくもの。そこに関わる一人として、これからも挑戦と努力を重ねていきたいと思います。

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